WRITINGS|著書・エッセイブログ

著書

シャンソン歌手はスパゲッティを食わない

この本は、ポール・モーリアやレイモン・ルフェーブル、リチャード・クレイダー マン、ミッシェル・ルグランなどのオーケストラ。そして歌手の方では、シャルル・ トレネ、アダモ、エンリコ・マシアス、パトリシア・カースなど、多くの、主にフランスアーティストの司会や通訳をつとめた山崎肇が、軽妙でユーモアに溢れた文章で 語るエッセイです。
国際的なアーティストとの魂を揺さぶる交流が、感動を呼ぶ本。
毎年、ポール・モーリアとレイモン・ルフェーブルに招かれて過ごす、南フランス でのバカンスの出来事。スターたちの普段の顔や田舎の人々との友情。中年過ぎて再び唄いだした、シャンソン歌手としての苦労やどたばた劇など、音楽やフランスに 興味がある方々には、見逃せない一冊です。
定価 1,700円(税別)

早稲田出版

〒160-0023 東京都新宿区西新宿8-5-3
電話:03-3369-5500
Fax:03-3369-5534
ホームページ  http://www.waseda-pub.com

本書籍の内容の一部をご紹介いたします。

はじめに / 私の横顔 / ともだち / 海神中学校吹奏学部10周年コンサート / あがらない秘訣 /

あがらない秘訣

舞台であがらない方法を伝授しましょう。
チョット複雑ですが、「あがらない方法はない」が答えです。
ナンダとがっかりなさったら貴方の間違いで、あがらない人はいないと知ることは、あがらない方法でもあります。
ごくまれに、私はあがらないという人がいますが、人間とも思えません。
ボク自身いまだに、舞台の袖で震えがくるときがあります。
そんなときは、「おまえは家でテレビを見ている自分と、今の自分のどちらを選ぶんだね」と強く自問自答して、舞台袖の自分を選ぶのです。なぜなら、こちら は職業だから逃げるわけにはいかないし、どっちみち好きなことをしているのだし、うまくいけば恰好いい。今まで大した失敗もなくやってきたのだから、今日 もだいじょうぶと言い聞かせる。
ドキドキしてきたら、「オヤ、ドキドキの神様またおこしになりましたか」などとおどけながら、気をまぎらわせます。
少し震えるような経験をしていた方が人生は楽しいし、終ったあとの解放感もたまらないものがあります。
もっとも箸を持つ手が震えだしたら困ってしまいますが。

昔、テレビの創生期に、マルマン深夜劇場という映画番組がありました。
そのテーマ音楽、「夜は恋人」を演奏し人気があった、トランペットのジョルジュ・ジューバンと、石井好子さんがこの話題を話していました。
ジューバンはコンサートのまえ、常にコアントローというリキュールをひっかけていましたが、これも対策のひとつだったかもしれません。
二人は、あがる最大の理由は練習不足と言う結論にたっしました。

これで一つ解決、練習をたくさんすれば少しおちつきます。

極度に緊張すると食欲がまったくなくなりますが、これを逆に利用して、開演一時間ぐらい前に、カツ丼などを無理やり食べるのです。神経が胃に分散し、少しおちつきます。
きっと大失敗をするのではないか、などのマイナスイメージは一番の禁物です。
頭脳に関する本を読むと、常にプラス思考を進めています。大失敗なんてめったにしないのですから。

ドキドキしていたら、自分の脳はいま大きな刺激を受けていて、大進歩の真っ最中と思えばけっこう楽しいではないですか。
刺激を与えると脳の働きは活発になり、ドキドキしたら貴方の目は何時もより輝き、顔も引きしまって美しくなるでしょう。

 ある日、僕の友人が主催する素人のコンサートを聴きにいきました。
50人ぐらいのお客様はぜんぶ歌手の友人たちで満員でした。
一人の70才はこえたかと思われる女性が、必死に、本当に震えながらバンドにあわせて唄いましたが、眺めていて微笑ましくおもいました。素人ながらプロみたいに唄う、こまっしゃくれた歌手よりよほど新鮮でした。
普通の人々の毎日の生活の中で、これ以上つよい刺激を得られる機会が、他にあるでしょうか。
あがっていた彼女の姿は魅力的でさえありました。

ある日、ホテル・オークラでの豪華な結婚披露宴の司会を依頼され、打ち合わせに家に招かれ、食事の招待をうけました。
その方は一流企業の社長さんで、糟糠の妻とは6畳一間のような暮らしから今の時代を築き上げました。
やがて新郎新婦になる二人も同席していましたが、食事のあいまに僕のお茶碗が空になりそうになると「オイ山崎さんのご飯のお変わり!」と妻に命じ、亭主関白ぶりを発揮していました。

披露宴の前日に、「どこにでも出かけていくので、時間があったら会って欲しい」と電話がありました。
お会いすると、「どうも家にいると落ちつかなくてな。悪いな、貴重な時間をとってしまって」と謝りました。
そして「両家代表の挨拶を考えてきたが、これでいいだろうか」と相談されました。一流企業の社長が考える文章に、若輩者が指摘するような、間違いがあるはずもありません。そして「何かほかに注意することはないかね」と相談されました。
家で僕を歓待してくれたご夫婦のようすを思い出しながら、「家ではいつも亭主関白でいらっしゃいますね。奥さんに『きみにはいつも世話になるね』とかお礼 を言われたことはないでしょう?」と尋ねてみると、「もちろん。そんなこと言えるはずがないじゃないか」と答えが返ってきました。

披露宴の当日、宴はなごやかにすすみ、新婦友人、チアーガールの仲間たち10人ほどがショート・パンツもあらわに、然し健康的躍動感に溢れておこなった演技は、会場の雰囲気をいっきにもり上げました。
花束贈呈のあと、親族を代表して社長の挨拶がはじまり、理路整然、見事な謝辞がはじまり、とつぜん言葉が乱れだしました。  「まあ......こんなわけで......私たち家族の......ええ......幸せな姿を......ご来賓の皆様に見ていただけるのも......長年にわたって苦労をかけた......、......ここに いる妻のおかげです」と言ったのです。

瞬間、清楚な和服に身をつつみとなりに並んでいた妻は、ウット小さな叫びをあげて手で口をおおい、膝をおって態勢を立てなおした。会場からは万雷の拍手が鳴り響き、「いいぞ!よく言った」と言葉も投げかけられました。
社長はあがったのではなく、盛り上がった感情を押さえきれなかったのですが、乱れた言葉は来賓の心をうちました。

あくる日電話で、おおくの友人からお褒めの言葉をいただいたそうです。

最後に究極のあがらない心理を。
やけくそになることです。うまくいっても失敗しても自分自身。
いつも100パーセントの力を発揮し続ける人はいません。
緊張感なしの人生なんてつまらないではないですか。

もしかしたら、こんなこと全部ご存じだったかもしれませんが。

本について|推薦文・感想文

ESSAY

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夏の木陰

「どこの誰のお引き合わせか分からないけど、この4人で昼飯を食えて本当に嬉しいよ。今日のことを考えて昨日はほとんど眠れなかったよ」。
64才にもなる男が、まるで子供のようにはにかんで喜びを隠そうとしなかった。

前の日に農園経営家のギは、レイモン・ルフェーブルの家で、夕食のメロン・オ・ージャンボン(メロンとハム)食べながら、「ハジメ、よかったら明日、昼飯をごちそうするよ」と誘ってくれた。
料理をするようなタイプではないので、「ギが料理を作るんだったら、命がけで食べに行かなければね」とボクがからかうと、「いやダニーが作っておいてくれたアルエット・サンテット(牛肉の包み料理)があるんだ」と答えた。
女房のダニーは、昨日から孫たちと一緒にバカンスに出かけ、10日ほど帰ってこないらしい。
それで、昨日はルフェーブル邸で夕食を食べた。
ボクの知っているフランスの夕食は、昼より軽めのばあいが多い。
レイモンが「おや、ハジメを誘ってボクは誘わないのかね」と凄むと、ギは待ってましたとばかりにレイモンも誘ったのだった。

ギの、ブドウ畑の真ん中にある作業場の片隅には、オリーブ、プラタナス、マロニエなどが並んで大きな木陰を作っている。
今日も30度を超す暑い日差しが照りつけているが、湿気のない南フランス木陰は、涼しい憩いの場所になっていた。
レイモンとボク、主人のギ、そしてもう一人招待されたルイは、食前酒のカンパリやパスティスを飲みながら話を続けた。
ルイの女房はルフェーブル邸で週に一度、掃除婦として働いている。

ギはまたしても、現在の状況を確認するように、「昨日は嬉しくて眠れなかったよ」といった。
ギには、レイモン・ルフェーブルはそれほど大事な存在なのだろうか。
なんでこれほど喜ぶのかよく分からなかったが、嬉しそうな顔を見ているうちに、自分まで誇らしい気分になっていた。

ボクがルフェーブルの家に滞在する期間は、ボクらの仲間、ルフェーブル夫妻、近所に住む、スパルタカス夫妻、ギ夫妻が、みんなを夕食に招待するのが習慣になってきている。
すでにルフェーブルは、エキサンプロバンスの、寿司、焼き肉、天婦羅のマルチレストランと、この近隣にある湖の側のフランス料理店
に、みんなを招待してくれている。
ギの家でも一回、女房のダニーが腕を振るって、魚のスープの夕べが開かれていた。

ルイ・ビレトはイタリヤからの移民でかなりの苦労を続けたらしいが、どんな苦労も気にせず、楽しげに生きていける人間がいるとすると、それがルイだ。
年齢はレイモンと大体同い年で73才になる。
身長は180センチぐらい、数々の苦労をともして来た人生が、その赤らんだ顔や涙目に、その手に表れている。

2年ほど前に脳卒中に倒れ下半身不随になったが、持ち前の気楽さと、自分でも知らなかった不屈の闘争心でリハビリを乗り越え、今では車を運転し、片手で杖をついて歩けるほどに回復している。
しかしリハビリは、涙が出るほど辛いらしい。
昼飯の約束をした1時15分前、時間きっかりに到着したのだった。

前の日ボク達は、体重過多で身動きが緩慢になったレイモンを放ったらかして、この村から80キロは離れている村の、[麦]収穫祭に出かけた。
運転は82才のスパルタカスで、巧みなハンドルさばきでボクをビックリさせた。
83才になる女房のイベットが後席ボクの隣に座り、ギが道案内かたがた助手席に座った。

スパルタカスの女房イベットは以前、みんなで食事をしている席で、「ハジメはなんて好ましい男なのでしょう」と誉めてくれたことがある。
レイモンがすかさず、「イベットがチケットをくれたぜ」とまぜ返した。
"チケットをくれた"ウインクをしたというような意味なのだが、それがプレッシャーになり、イベットが隣に座ると何となく意識してしまうのだ。
フランスの女性は、日本女性よりはるかに大胆な発言を遠慮しない。

大きな広場には、昔使われていた農耕機具やトラクターが並べられ、麦畑では実地の刈り入れ作業が行われ昔を偲んでいた。
1000人が、2列に並んだテーブルに座って一緒に食べる名物の大昼食が終わったとき、主催者は遠方からのお客を紹介していった。
ギが大きな声で、「この人は日本から来たんだよ」と告げると、司会者があらためてマイクでボクを紹介し、万雷の拍手を浴び立ち上がってオジギをした。
最後を締めくくって市長が、「この刈り入れ祭も6年続けて大盛況で、これ以上の喜びはない」と挨拶をはじめた。
そして遠慮がちに。ボクの方を指差しながら、「今回は日本からも来ていただいて大変光栄です」と締めくくった。
この為に来たのではないのに、主賓のような雰囲気になってきたので、また立ち上がってオジギをした。

ボク達が「刈り入れ祭」の話をレイモンにすると、ルイ・ビレトはワインで心地よくなってきたのか、昔話をはじめた。
「ボクは子供のときから仕事をしていた。家はイタリアの移民で貧しかった。15才の誕生日に、ギのお父さんから靴を貰ったけれど、それまではいつも裸足だった」。
麦の収穫では朝の5時から仕事をはじめ、12時に昼食兼シエスタを取る。少し眠らなければ、とても体が持たなかったそうだ。
2時に仕事を再開し、9時に終わる。そんな仕事を続けていた。
刈り入れで儲かったのはラベンダーだったそうだ。
麦より遥かに楽そうなラベンダーの刈り入れが、どうして賃金が高かったのかは聞きそびれてしまった。
会話が盛り上がっているときは、質問を挟むのを遠慮してしまう。

便利屋のような仕事を続け、結婚し、自力で家を建てた。
フランスの田舎では自分一人で家を立てる人が少なくない。
やがてカロリーヌが生まれ、彼女が成人する頃には隣に土地を買い、家を建ててあげた。

カロリーヌは勉強熱心で、数々の資格を習得していき貧乏から脱出した。
印象は多少地味めだが、キラリと輝く青い目が彼女の内面を表している。
長く付き合うにはこのような女性がいい。
今や花も恥じらう30才で、同じ公証人(Notair)の資格を持つ男性と8月の終わりに結婚する。
ボクも昨年彼女の婚約者に会ったが、コルシカ出身で、カロリーヌと同じタイプの好青年だった。
お互いに収入は安定していて、すでにマルセイユに豪華なアパートを買っである。

ルイが、娘の新居の間取りを説明するとき、自慢にならないように気をつけながら、それでも嬉しさを隠すことはできなかった。
レイモンは結婚のお祝いに500ユーロ(訳65000円)を彼女に送ったそうだ。
ギには、泣きたくなるほど辛いリハビリの話しをしたそうだが、きっと娘の結婚式に杖をつきたくなかったに違いない。

ボクが日本に帰ってきてから、レイモンが電話で、結婚披露宴の華やかな様子を伝えてくれた。
ルイ・ビレトは一張羅の背広に身を包み、杖をつかずに歩いていた。
宴は夜の12時過ぎまで続いたが、この近辺でこのような豪華な披露宴は滅多になく驚かされたようだ。

ルイ・ビレトはこの日、大きな実りを収穫したのだった。