1938年東京本郷の生まれ。暁星学園卒業。
1960年代の半ば、銀座の電通通りにある、ホテル日航ミュージックサロンでシャンソン歌手としてデビュー。石井好子の石井音楽事務所の専属となる。
1965年、キング・レコードのオーディションに合格、専属歌手となりレコードを発売しだした。
「消え去りし友」「愛は燃えている」「君は我が命」「夜のメロディー」など。
当時大手レコード会社と専属契約を結んでいるかいないかはとても重要で、契約無しの歌手とは、大リーグとマイナーリーグぐらい、格付けの差があった。
銀座のホテル日航ミュージックサロン、銀巴里などのライブハウスや、パリ祭のツアーの司会や歌、テレビ、ラジオ、日本中にあった音楽鑑賞団体への出演など、シャンソンの中心的歌手として長い間活躍していた。
しばらく歌手活動を休んでいたが、1990年のレイモン・ルフェーブル・グランド・オーケストラ日本ツアーでは、司会をしながら唄い、フランスの大編成オーケストラで唄った経験のある、数少ない日本人歌手。
レパートリーは世界に流行ったシャンソンのスタンダード・ナンバーの名曲で、そのほとんどをフランス語で唄っている。
現在は主に、ポール・モーリアやピアニストのリチャード・クレイダーマン、ミッシェル・ルグランなど、フランスのアーティストのコンサートの司会をしながら、歌手としてのライブ・ショー、ホテル等での結婚式やパーティーの司会もしている。
例えば、日本航空DC8リタイヤー記念パーティー。東京ーマドリッド就航記念パーティー。
日本在住フランス菓子職人及び料理人団体アミカル25周年記念パーティー。
カナダ日本、国交関係樹立70周年記念パーティー。
シェーヌ・デ・ロティスール世界肉料理料理人パーティー(世界のグルメたちの会)
これまで司会したアーティストは、 ポール・モーリア。レイモン・ルフェーブル。リチャード・クレイダーマン。
ミッシェル・ルグラン。 フランク・プールセル。 ピエール・ポルト。カラベリ。ジョルジュ・ジューバン。
クロード・チアリ。ニコラ・デ・アンジェリス。 デューク・エリントン。アルフレッド・ハウゼ。
以上オーケストラ、インストメンタリスト。
歌手の方では、 シャルル・トレネ。アダモ。エンリコ・マシアス。イベット・ジロー。
ジャックリーヌ・フランソア。ジョセフィン・ベーカー。ジャン・サブロン。「別れの朝」をヒットさせたウド・ユルゲンス。
「ククルクク・パロマ」をヒットさせせたトリオ・ロス・パラガヨス。ミルバ。クラウディオ・ビルラなど・・・。
「愛の賛歌」をアメリカでヒットさせたブレンダ・リーの司会をしたのも、何かの縁と思う。
また初来日のパトリシア・カースの通訳舞台監督を務めたり、イブ・モンタンやミレイ・マティユーと食事をした経験もある。
2000年7月にはアメリカと日本で僕のシングルCDが販売された。ペリー・ラマルカ編曲指揮による40人のフルバンドの伴奏で、アズナブールの「愛のために死す」と「人々の言うように」がフランス語でレコーディングされた。3000枚発売され、売り切れた。
中国、上海のラジオ番組でこの歌が紹介され、評判になる。2002年2月。中国で最大のレコード会社により、上記のCDが発売される。
最近ポール・モーリアが僕の編曲をしてくれている。編曲といっても、彼がシャルル・アズナブールの為に編曲した大編成オーケストラのものを、僕のために五人編成にしてキーを変えてくれるのだが、編曲だけではなく、営業で使えそうなカラオケも作ってくれている。僕がシャンソンに打ち込んでいるのを知り、助けてやろうと思ったらしい。
もちろん全部プレゼントで、パリには足を向けて寝られないと思っている。レイモン・ルフェーブルも、1999年僕のために書いたグランド・オーケストラのアレンジを五人編成のバンドように書き直してくれた。
ポール・モーリアやレイモン・ルフェーブルとは30年のつき合いで、毎年フランスの夏のバカンスには、費用全額あちら持ちの特待生待遇で一ヶ月以上招待され、見聞を広げており十年以上続いている。
ミニコミ音楽新聞に月一回のペースで、一緒に仕事をしたアーティストのこぼれ話や、フランス滞在中の経験、日々の仕事を通じての話題などエッセイを書いていたが、思わぬ好評で35話ほど連載が続いた。
分量も増え早稲田出版から、2002年2月に出版された。
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山崎 肇 電話・FAX 03-3449-6078
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